証言記録 ステップ制御エピタキシー — 黒田尚孝氏・芝原健太郎による実現–

黒田尚孝氏寄稿


ステップ制御エピタキシー1は、SiCパワーデバイス2実用化を可能にした画期的な技術として広く知られています。松波弘之京都大学名誉教授の研究室で、黒田氏と芝原が議論や実験を通じて、この技術をどのように実現したのか辿ります。

 1.ステップ制御エピタキシー発見のヒント



1985~86年にかけて、京都大学大学院工学研究科の松波研究室で私は修士課程の2年間「6H-SiC3基板上への3C-SiC4のヘテロエピタキシャル成長5」の研究を担当していました。芝原さんは同じく松波研究室で博士課程1~2回生として在籍していました。

 この時、SiC結晶成長時における原子の積層構造の重要性についての議論を通じて、私は芝原さんからステップ制御エピ発見のヒントをもらいました。

 芝原さんは当時Siオフ基板6上の3C-SiC成長の研究7をされていました。それで、基板の原子層ステップのSiC結晶成長に与える重要性について、私の研究テーマについても議論してもらいました。始まりは私が修士2回生になったばかりの1986年の4~5月ごろで、6H-SiC基板上のSiC気相成長8では3C-SiC双晶が生成しモザイク状の表面モホロジー9となることを示したV.J.Jenningsらの論文があることを芝原さんから紹介してもらいました。その際、6H-SiC基板上への3C-SiC成長は、ジャスト基板10にも少数ある原子層ステップの存在により2種類(ABCとACBという2つの積層構造)の3C-SiCが発生し双晶11になりやすいのではないか?という考えを話してくださいました。

 そこで、私は自分の成長した膜を溶融KOH12でエッチングを行い、エッチピットの形(3角形)がモザイク状パターンの境界を境に回転していることから確かに双晶であることを確認しました。

 この時の実験結果や芝原さんとの議論内容について、芝原さん、西野先生13、松波先生14との連名で1986年秋の応用物理学会で発表15しました。

 余談になりますが、その直後にNCSU16のDavis先生の研究室から同じ内容の論文がAPL17に掲載されました。「世界中で同じことを考えている人が3人いる」と言われますが、本当にそんなことがあるのだなと当時驚きました。さらにオフ基板上の成長についても1988年にJAP18にNCSUから論文が掲載されました(京大のSSDM19発表は1987年)。



 2.基板の工夫―3つのアイデアと鏡面成長の成功



 以上の芝原さんとの議論を通じて、私は、修士課程1回生の1年間、成長条件を色々振っても良い結果が得られなかったこともあり、基板にも何らかの工夫が必要ではないかということを考え始めました。

 その結果、基板に施す工夫として、1986年の6月ごろだったと思いますが、次の①、②、③のアイデアを実験で試すことにしました。

 

  ① 基板の自然面ではなく研磨面(裏面)を使うこと

   これは当時研究室に留学中だったYooさん20との議論の中で出てきたアイデアです。

  ② オフ基板を使うこと

   当時GaAs on Siや芝原さんのSiC on Siのヘテロエピタキシャル成長で試みられていたオフ基板を使うことです。

   上記で使われたSi基板と異なり、SiCのオフ基板は当時もちろん無いので基板の元であるアチソン法の石を研磨する時にSi基板の小片を

   研磨用ジグとアチソン法の石の間に挟み込むことでオフ角度をつけました。

  ③ 上の2つが先に成功し、試作することはなかったのでよく覚えていません。



 この時、最初に研磨が完成した①の“自然面ではなく裏面を使って作った基板”が意図せずオフ基板になっていたことで、ステップ制御エピタキシーが初めて出来たわけです。後から研磨が完成した②の“意図して作ったオフ基板”の方は再現性確認のため使い、鏡面成長が再現できることを確認しました。仮に①の裏面成長が失敗していたとしても②の試みで成功していたと思います。

 

 3.オフ基板上成長層のポリタイプ同定



 裏面基板上に基板全面への鏡面成長ができた次の日に芝原さんに報告しました。その後、芝原さんから松波先生に報告してもらい、私は教授室へ呼ばれたと記憶しています。先生から再現性確認の指示を受けるとともに、すぐにX線回折による結晶評価をやろうということになり、その結果基板上のエピタキシャル層がオフしていることが判明しました。

 成長層のポリタイプが明らかになったのは、少し後でした。当初の私の研究テーマは「6H-SiC基板上への3C-SiCのヘテロエピタキシャル成長」でしたので、実験した直後は、まだ成長層は成長温度(1500℃)からみて低温安定ポリタイプの3C-SiCだと思い込んでいました。ただし、オフ基板で鏡面成長するメカニズムを考えていた時に、3C-SiC単結晶がオフ基板上に成長すると考えると、どう考えてもメカニズムが上手く説明できないな、とも思っていました。

 成長層のポリタイプは、芝原さんにRHEED21を使って同定してもらいました。(RHEEDは当時同志社大の装置を借りて測定していた芝原さんだけが装置を使えました。)芝原さんは、As-grownでは菊池線とストリークラインに隠されてポリタイプの判定ができないため、KOHエッチングで試料表面を荒らしてスポットパターンが出るように工夫して測定したと言われていました。その後、私は溶融KOHで結晶表面をエッチングした時のエッチピットの形を顕微鏡で観察しましたが、そこでも6Hであることが確認できました。これらのデータは今も松波先生のご講演22に出てきます。



 4.結晶成長のメカニズム

 

 成長層が6Hだと分かると、オフ基板上に良好な結晶が成長するメカニズムは大変分かりやすいものになりました。現在も言われているステップフロー成長を実現することにより基板の縦方向の積層構造を引き継ぐというメカニズムはこのポリタイプの同定後に私が考えたものです。同時に3C-SiCの双晶がジャスト基板上に成長するメカニズムは1986年秋の応物発表時のジャスト基板にも少数ある原子層ステップの存在により2種類(ABCとACBという2つの積層構造)の3C-SiCが発生するという成長モデルから、広いテラスでの核発生による結晶成長では2種類の積層構造がランダムに発生するというモデルに私が修正したと記憶しています。このメカニズムについては、芝原さんにも同意して頂けたと思います。

 SiCオフ基板上の結晶成長機構の詳細については、その後、木本先生23が大学に戻られてから定量的に研究され博士論文24に纏められています。

 

 5.修士論文と査読

 

 私の修士論文25執筆時には、自分で書いた原稿をまずは芝原さんに読んでいただき、記述等の修正をして頂きました。私が修士課程1年時に松波研へ移った年に、直接の指導教官になる筈だったと思われる西野先生が京都工繊大へ移られたため、実験、修士論文ともに博士課程に在籍されていた芝原さんに指導して頂きました。

 

 6.SSDMでの発表とSSDM Award受賞



 1987年9月に開催されたSSDM26では芝原さんが口頭発表されました。SSDMへの投稿、発表については、私は修士課程卒業後であったためタッチしていません。事前に松波先生から「このテーマで実験を行った黒田を筆頭著者にし、発表は芝原さんにお願いする」とお聞きしました。Extended Abstract27の執筆については、松波先生からは直接お話を伺った記憶がなく、何方が執筆されたかを私は知りません。この手法の名前の元になった「Step-Controlled VPE Growth of SiC Single Crystals at Low Temperatures」28という論文タイトルは松波先生の命名かと思います。

 

 そして、2005年、この発表はSSDM Awardを受賞29しました。

 

 以上、私が知っていることを書きました。記憶が曖昧な部分等も一部ありますが、出来る限り事実を書いたつもりです。

受賞者:右から黒田尚孝,芝原健太郎,Yoo Woo Sik,西野茂弘,松波弘之(敬称略)
SSDM Award賞状
(a)自然面と(b)オフ基板上の成長層の表面形態

注(編集者による)

  1. 「ステップ制御エピタキシー」:基板上に欠陥の少ない鏡面状の結晶膜を成長させる方法。 高耐圧・低損失が求められる高性能SiCパワーデバイスの製造に必須の基盤技術。 この技術によって電気自動車や電力機器に使われるSiCパワー半導体が実用化された。

     SiC(シリコンカーバイド)などの結晶は、原子の積み重ね方が少し乱れるだけで別の結晶構造が混ざるので、電気特性が不安定になり、実用的なデバイスを作ることができない。平らな基板(ジャスト基板)に結晶を成長させると、結晶がランダムに広がって多形(ポリタイプ)が混入し凹凸や欠陥が発生する。基板を傾ける(オフ基板のこと。2度の傾斜)と、基板表面に原子レベルのステップ(階段)が出来、その段差に原子が沿うように同じ結晶構造を維持しながら結晶膜が鏡面状に成長する。
     材料分野 | SiCアライアンスにも様々なSiC半導体材料分野の解説がある ↩︎
  2. SiCパワーデバイスシリコンカーバイド・パワー半導体。 従来のシリコン半導体に比べて 高温環境や高電圧条件でも安定して動作でき、電力損失を大幅に低減できる半導体。 機器の小型化・軽量化や省エネルギー化に直結し、持続可能な社会のインフラを支える。
    電気自動車(EV)に不可欠で、再生可能エネルギーシステム、産業機器、データセンター などで用いられる。現在すでに大量生産され、市場は年々急速拡大している。 ↩︎
  3. 6H-SiC:炭化ケイ素(SiC)の結晶構造の一種で「六方晶系ポリタイプ(多型)」のひとつ。 ↩︎
  4. 3C-SiC:炭化ケイ素(SiC)の結晶構造のひとつで「立方晶(キュービック)」の形を持つタイプ。3Cは「立方晶(キュービック)」を意味し、ダイヤモンドやシリコンに似た構造。 ↩︎
  5. ヘテロエピタキシャル成長:基板と成長する薄膜が異なる材料である場合の結晶成長方式 ↩︎
  6. Siオフ基板:Si(シリコン)でできたオフ基板(意図的に傾けた基板)。基板を意図的に傾けると表面原子の結晶構造により、その上に鏡面状の薄膜を成長させることが可能となる ↩︎
  7. 3C-SiC成長の研究:K. Shibahara, S. Nishino, and H. Matsunami, “Antiphase-domain-free growth of cubic SiC on Si(100)”, Appl. Phys. Lett., 50 (1987) 1888-1890
    HOME中のPickup3またはSiC半導体の研究業績紹介を参照 ↩︎
  8. 気相成長:気体(ガス)から固体を析出させて薄膜や結晶を成長させる方法。

    ステップ制御エピタキシーでは原料ガスを基板表面で化学反応させて薄膜を形成するCVD(化学気相成長法)を用いた。HOMEの「Pickup2について」でCVDの説明も参照 ↩︎
  9. モホロジー:表面の形態や構造 ↩︎
  10. ジャスト基板:結晶軸に対して傾きゼロの理想的に平らな基板 ↩︎
  11. 双晶:同じ種類の結晶が、特定の規則でくっついたもの。鏡に映したように対称であったり、一定の角度で並ぶものであったりする。 ↩︎
  12. 溶融KOH:水酸化カリウム(KOH)を高温で加熱して融点(約410℃)以上にした液体状態のこと。強いアルカリ性と腐食性を持つ ↩︎
  13. 西野先生:西野茂弘京都工芸繊維大学名誉教授 2005年SSDM賞共同受賞者のひとり ↩︎
  14. 松波先生:松波弘之京都大学名誉教授  2005年SSDM賞共同受賞者のひとり。2023年にはIEEEエジソン賞を受賞。 「ステップ制御エピタキシー法」の発明などによりSiCパワーデバイスを実用化したことが主な理由. ↩︎
  15. 1986年の応物発表:黒田、芝原、西野、松波 “CVD法による6H-SiC上への3C-SiCの成長” 応用物理学会1986年秋季講演会予稿集 p726 ↩︎
  16. NCSU:ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University) ↩︎
  17. APL: Applied Physics Letters(速報性が重視される短いレター論文) ↩︎
  18. JAP:応用物理学会(The Japan Society of Applied Physics, JSAP) ↩︎
  19. SSDM:「International Conference on Solid State Devices and Materials」の略。 半導体や固体デバイス・材料分野における世界的権威のある国際学会 ↩︎
  20. Yooさん:Yoo Woo Sik氏 2005年SSDM賞共同受賞者のひとり ↩︎
  21. RHEED : 高エネルギー電子を浅い角度で照射して、結晶表面の構造を調べる技術。表面の平坦性、周期構造、成長モードなどを解析することができる。 参考「研究会資料「RHEED-基礎的理論とその応用例」1986年10月22日」 ↩︎
  22. 松波先生のご講演:例として第2回 京都大学−稲盛財団合同シンポジウムがある (動画開始から26分目頃にこの時のデータが使用されている) ↩︎
  23. 木本先生:京都大学大学院工学研究科教授 ↩︎
  24. 博士論文:「Step-Controlled Epitaxial Grows of α-SiC and Device Applications」(京都大学 1996年) ↩︎
  25. 修士論文:「CVD法によるSiC単結晶膜のオフアングルを有する基板上へのエピタキシャル成長」(京都大学 1987年) ↩︎
  26. SSDM:注19に同じ ↩︎
  27. Extended Abstract:この時のExtended Abstractは ”Step-Controlled VPE Growth of SiC Single Crystals at Low Temperatures 
    SSDMにおけるExtended Abstractは、研究成果を簡潔にまとめた短縮論文のようなもので、審査・発表・公開のために必須 ↩︎
  28. 「Step-Controlled ・・・Temperatures」:上の論文タイトル。注27に同じ ↩︎
  29. SSDM Awardを受賞:SSDM Award 2005. 受賞者は黒田尚孝、芝原健太郎、Yoo Woo Sik、西野茂弘、松波弘之の5名(敬称略). 

    SSDM Award2005は、1969年に開催された第1回から2000年までの間にSSDM(注18)で発表された論文の中から、年に1件だけ表彰されるたいへん名誉な賞 ステップ制御エピタキシー実現でSSDM賞を受賞 ↩︎
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